| 明治六年一月十日、徴兵令発布の詔書がくだった。新しい国民皆兵を理念とする徴兵令である、この徴兵令ではまず旧武士では |
| なく、維新変革の原動力となった庶民のエネルギーに期待されていた。したがってまず、その武士に対しては「刀を帯び武士と称し |
| 抗顔座食をし、甚だしきは人を殺し」と徹底的な憎悪の言葉を投げつけて庶民の歓心を買うことに意を払っている。しかし庶民は |
| 簡単には政府の術策に乗ってゆかなかった。 |
| その徴兵令にはいくつかの免除規定があった。①前科ある者 ②官省府県に奉職の者公塾に学んだ専門生徒洋行修行の者 |
| 代人料270円以上を上納する者 ③一家の主人及び父兄に変わって家を治める者、養子、徴兵在役中の兄弟等であった①は問題外 |
| として、②は官氏およびブルジョアに関する規定で庶民には無縁であるが③は徴兵から逃れようとする一般庶民にとってうってつけの |
| 抜け穴を提供する条項であった。小糸においてもこの条項を極限まで利用して徴兵から逃れた話が沢山つたわっている。 |
| 徴兵年齢に近い男子は競って養子に行き、また嫁を迎えて分家をし一家の主人となって免除項目の該当者となった。この徴兵分家 |
| 徴兵養子の流行の為早婚の風習が広がって当時男十六才女十五才で結婚したという話さえある。 |
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